先日の記事で、
「AI翻訳の精度がここまで進化した今、『英語を学ぶ意味』そのものを問い直す時期に来ているのかもしれない」
と書きました。
しかし、SNSを眺めていると、
「AI翻訳が発展しても英語は学ぶべきだ」
という意見が圧倒的に多いように感じます。
私自身も「英語学習は不要だ」とまでは思いません。ただ、胸を張って語れるような強い理由があるわけでもなく、どちらかというと
という程度の賛成派です。
AIの進化は予測が難しい
そもそも、AIが今後どのように進化するかを正確に予想するのは非常に難しいことです。
情報技術の進歩は想像以上に速く、近い将来、現在のAIではできないとされていることが“当たり前にできる”ようになっている可能性も十分あります。
そう考えると、
「AIではここが限界だから英語は必要だ」
という主張も、将来のAIを前提にすると成立しなくなるかもしれません。
また、SNSで英語学習の必要性を強く語る人たちの多くは、そもそも英語が好きな人たちでもあります。
好きなものを肯定したくなる気持ちは自然ですが、それが万人に当てはまるとは限りません。
とりあえず学んでおく、という考え方もある
一方で、将来どうなるか分からないからこそ、
「とりあえず英語を学んでおこう」という考え方もあります。
特にヒアリング力は幼少期のほうが身につきやすいと言われています。
他の習い事と同じように、
“将来どれくらい必要になるか分からないけれど、やっておく価値はある”
という位置づけで英語を学ぶのも一つの選択肢でしょう。
英語の必要性は“個人の生き方”に大きく依存する
AI翻訳がどれだけ発展しても、英語を学ぶ必要性は人によって大きく異なります。
• 海外で働く
• 海外の大学に進学する
• 国際的な仕事に携わる
こうした人にとっては、英語は間違いなく必須です。
しかし、
「海外旅行で時々使う程度」
という人が、人生の中で膨大な時間とお金をかけて英語を学ぶ必要があるのかと言われると、疑問も残ります。
その場合、AI翻訳で十分に対応できる未来は十分に考えられます。
では、学校教育としての英語はどうあるべきか
AIが今後どのように進化するのか。
そして、子どもたちが大人になる頃、英語がどれほど必要とされるのか。
これらは不確実性が大きいテーマです。
だからこそ、
「学校教育としての英語はどうあるべきか」
という議論は、今後ますます重要になると感じています。
AI翻訳が当たり前になる未来を前提にしたとき、
英語教育はどのように変わるべきなのか。
あるいは変わらなくてもよいのか。
引き続き考えていきたいテーマです。
